不条理を受容する力

キャリアにおいても人生においても、この世界を生き抜いていく上で非常に大切な力は「不条理を受容する力」だと山口周氏は語っていますが、全く同感です。

論理的思考力をあまりに自負する人や過大評価する人は、この「不条理を受容する力」を脆弱化させていると感じます。すると、キャリアや人生の中で論理ではどうにもならない事態に直面した時に、あっさりと滑落して山を滑り落ちてしまいます。

何を隠そう、私自身がそうでした。私は新卒でソニーに入社して30代前半まで勤務させていただきましたが、たまたま知名度の高い会社に入社できたお陰で会社の看板によって仕事をさせてもらい、会社内の不条理はすべて課長が雨よけになってくれて、まさに温室のような場所を与えられていたからこそ、論理と正当性を押し出しても仕事がまかり通っていただけなのに、自分の実力だと誤解し、過信し、尊大化してしまっていました。そんな30代半ばで、「不条理を受容する力」など全く持たずに、論理と正義で世の中動かせるくらいに思って、たまたま縁故で会社役員のポジションを打診された時に浅はかにも飛びついて転職しました。たなぼたのように与えられただけの会社役員という立場に足元がまったく脆弱だった自分では本質的な仕事は全くできず、表面的なことばかり必死に頑張って、「会社のため」という大義名分をかざして、結局は自己アピールばかりやっていました。論理(というか理屈)を武器にしつつ、古い体制やしがらみなど、様々な「不条理」を批判して攻撃していた結果、とてつもない「不条理の反撃」を受けて見事に木端微塵、山から滑落して仕事も家族も家も全部失いました。

そんな経験を身をもってしているので、「論理過信の脆弱性」と「不条理を受容する力の大切さ」がよく分かります。もちろん、論理的思考を全否定している訳ではなく、物事を的確に伝えたり、目的を達成するために必要な場面もたくさんあることは理解しています。しかし、それを過信しすぎたり、とらわれすぎるとそこに自分の「小さな正義」ができあがり、さらにそれを固持していると、むしろ自分を脆弱化してしまう危険性があると思っています。

この世界は論理でできているのではなく、人間には計り知れない「自然の力」と「不条理の塊」でできていると理解すればこそ、「不条理を受容する力」がいかに大切かが分かります。「不条理」を敵とみなしてしまえば苦痛ですが、「不条理」だからこそ、何が起こるか分からなくて面白い。「不条理」だからこそ、生きていくことに意味を見出せる、生きていく意味を見出す悪戦苦闘を通じて成長できる。そう捉えられれば景色は大分違って見えると思います。

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